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次回の研究会

2020年9月12日(土)17時~
会場:zoom

テーマ:「江戸の怪談サロン」
発表者:門脇大


受講は無料です。
受講を希望の方は前日までに100mono@infoseek.jp(百物語の館 事務局)までご連絡下さい。

※次回より怪文研のお知らせはリニューアルしたホームページで行うことになりました。詳細は最新記事をご覧ください。

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田中貢太郎の収集、創作した怪談と、江戸怪談とを読み比べた。
田中貢太郎「薬指の曲り」は、因果物語に原形が認められる話である。
本来、仏教説話であった話を近代怪談のひとつとして昇華する様を具体的に検証した。
また、「死人の手」は、『宿直草』(1677年刊)巻五の九「旅僧、狂気なる者に迷惑する事」などと類似した話である。
この話は類話が多く、民話の中にも認められるものである。
江戸怪談や民話を近代小説の一話として、小説として変成させる様相が認められた。



報告者:門脇大
会場:四条蛇庵 18:00より
第38回怪文研2018年6月23日(土曜日)
前回に引き続いて、落語の怪談話を検討した。
今回は、「悋気の火の玉」「片袖」「幽霊の鑑札」を中心として、これらとその類話を読み比べた。
「悋気の火の玉」は二人女房、「片袖」は片袖幽霊という、江戸怪談ではお馴染みのモチーフの落語版といえる。
ともに江戸時代の資料に類話が認められるものであって、それらと比較して、落語と怪談との親和性を検証した。
また、上記の3話と、その関連資料の検討を通して、落語・怪談を現代に再生する可能性についても討議した。



報告者:門脇大
会場:四条蛇庵 16:00より
第37回怪文研2018年5月19日(土曜日)
落語の怪談物をいくつか取り上げて検討した。
「三年目」、「皿屋敷」、「へっつい幽霊」、「たちきり」などの著名な落語である。
これらの梗概を確認して、特に江戸期の咄本を出典とするものを重点的に検証した。
それらは、咄本に出典・類話を見出すことが出来るけれども、咄本との差異も認められた。
その点を議論し、また、朗読作品として再生する可能性を検討した。


報告者:門脇大
会場:四条蛇庵 16:00より
第36回怪文研2018年4月29日(日曜日)
伊勢周辺の怪談や名所の報告

報告者:参加者の持ちより
会場:京都精華大学C-304 18:30より
第35回怪文研2018年1月23日(火曜日)
蛇は、日韓の多くの説話に共通して現れる素材である。人を想う気持ちが大きくなり、その欲望と執着で蛇となったものを、韓国で「相思蛇」と呼ぶ。「相思蛇説話」とは、誰かが相思蛇となり、その蛇が思慕の対象に取り付き(取り付こうとし)、最後に相思解き(相思蛇が離れたり死んだりすることによる解決)が行われる、という構成要素をもつ説話類型のことを指す。
今回検討対象とした『韓国口碑文学大系』は、全国を60カ所に分けて現地の説話を人々から聞き取って記録したもので、1979年~1988年にかけて本編82巻が発刊された。2009年以後、採録が改めて行われ、2013年~2015年に29冊が増補版として発刊されている。
この中では相思蛇説話は59件が採話されている(男性蛇説話18件、女性蛇説話41件)。全国的に分布しているが、特に南海岸地方で多く採録されている。特に増補版では男性が蛇になる話の比率が以前より高くなっている。
本発表では、男が蛇になった話を中心に内容を分析した。内容において身分の差という社会的な要素も存在するが、女性に関する儒教的抑圧のほうが大きいと考えられる。男が蛇になる場合、恋心や愛欲で蛇になることが多く、一方的なものが多い。特に多く登場するモチーフの一つが、男(僧侶)が家に来た時にこっそり門の隙間から男を見たことで男からも見られ、その男に惚れられて相思蛇がついてしまう女の話が多い(8件)。話の終わりに「だから昔から門の隙間から覗くのは良くないと言われている」と閉められている場合が多い。つまり、蛇に取り付かれた女に非があるという言い方で、身だしなみをしっかりするようにという教訓として語られている。「内外」と言い、男と女は大人になると一緒に話もしないことはもちろん同じ場所にいるのも控えていた。女は男が家に来たとき、気になって隙間から、あるいは門の穴から男を覗いた。(大きくなってから家から出ることがふさわしく思われていないため)父が家から出ないように言ったが、勝手に外出をした。親戚の男にだらしない態度を見せたなど女性の態度が問題になったという言い方が多く見られる。
朝鮮時代は身分違いの結婚が厳しく禁じられていたので、自由恋愛に対する恐怖や警告が見られる。特に女は再婚も離婚もできず、男だけが複数の女性との結婚が認められている根本的に不平等な儒教的家父長制社会で女性を守るための方法であったとも考えられる。また、女性の性的欲求などは社会規範に外れたものとして表現されず、偉人や学識のある男性への敬慕のような話が好んで語られていったと考えられる。儒教的掟として女性には「七去之悪」というものがあり、その中で淫乱な女性を警戒している。そして、女性はそうした価値観を受け入れるよう強いられたと同時に、そうした価値観を内面化して時には命までかけていたことも伺われる。
タイトル:『韓国口碑文学大系』から見る相思蛇説話
報告者:パク・ミギョン
会場:四条蛇庵 16:00より
第34回怪文研2017年12月23日(土曜日)
怪談の中の擬音について発表と検討を行った。百物語の館のアンケートでも話中の擬音とその演技について印象に残ったとするコメントがある。現代人がもっとも触れる機会が多いであろう稲川淳二を代表として怪談語りの中には擬音が頻出する。今発表では三遊亭円朝作「怪談牡丹灯籠」のカランコロンを怪談の擬音の典型として取り上げた。そこから文芸、民話、学校の怪談、現代怪談などのなかで擬音がどのように使われているか、およびそこから考えられる擬音の意味を「怪を語れば怪至る」思想や宗教的儀式としての百物語から怪談を声に出して語る必然性と擬音の性質についての解釈を試みた。
議論では怪談のオノマトペに歌舞伎などの芸能が与えた影響と音を使った恐怖演出についての話、日本人の音に対する意識、百物語の館の演者からの擬音に対する意見などが討議された。


報告者:井上真史
会場:京都精華大学C-304 18:30より
第33回怪文研2017年11月29日(水曜日)
幽霊画にまつわる由来書を取り上げ仏教寺院所蔵の幽霊画の意味について考える。
今回は金沢市鶴林寺(曹洞宗)所伝の一幅に関する報告。この絵は藩主前田家の重臣・千秋家の奥方の幽霊を描いたものであり、絵をめぐる不可思議な物語を綴った由来書が残る。江戸に単身上った千秋氏は愛妻の姿絵を愛でる毎日だった。正月の祝いの場で絵と語らっていると絵の中の奥方がにっこり笑う。魔が魅入ったかと掛け軸を斬ると同じ時刻に金沢に残してきた愛妻が謎の死をとげた。数日後、夢枕に立った幽霊を描いて鶴林寺に納めたのが現存の幽霊画だという。
やがて明治になって神道に改宗した千秋家は様々な不幸に見舞われる。昭和の初め一族の末裔により再び仏教に帰依して鶴林寺の檀家となった。由来書の後段は家の不幸と幽霊画の関わりをつまびらかにしていく。

報告者:堤邦彦
会場:京都精華大学C-304 18:30より
第32回怪文研2017年11月1日(水曜日)
前回に引き続き、播磨地方の怪談を取り上げて、検討した。
今回は、『諸国怪談実記』二篇(1788年刊)に収まる3話を中心として、それらの類話を検証した。
昔話として全国に分布している「漆兄弟」の話や、硯の中の竜が昇天する話、そして、近世初期・中世末期に類話がある大蛸と蛇の話である。
これらを検証することによって、近世中期の地方怪談集の性質、ありように関して議論した。

報告者:門脇大
会場:京都精華大学C-304 18:30より
第31回怪文研2017年9月27日(水曜日)
西播磨に伝わる怪異伝承を中心に検討した。
特に、『西播怪談実記』と『諸国怪談実記』という、18世紀に刊行された怪談集を取り上げた。
両書には、西播磨を中心とした在地に伝わる素朴な怪談が多く、数篇を丁寧に読み解くことによって、当時の怪談のありようを探った。
地誌や名所記としての性質を備えていることをを確認して、江戸時代中期の地方怪談の性質を検討した。
次回も西播磨の怪異伝承を取り上げるが、異なる視角から検討する予定である。

報告者:門脇大
会場:京都精華大学C-304 18:30より
第30回怪文研2017年7月26日(水曜日)
渡辺綱と鬼の腕にまつわる説話を取り上げて、検討した。渡辺綱が鬼の腕を切り落とし、後に鬼が腕を取り戻す、という著名な説話であって、古くは『平家物語』に収まっている。今回は、類話として『今昔物語集』巻二十七の二十二、謡曲「羅生門」、また近世初期怪談集などを中心に検証した。これらは、化け物の正体が鬼ではなかったり、鬼が腕を取り返しに来なかったりするけれども、共通する要素も多い。また、口碑伝承を取り上げて、綱の子孫を称する家では破風を作らない、といった習俗に関しても討議した。


報告者:門脇大
会場:京都精華大学C-304 18:30より
第29回怪文研2017年6月21日(水曜日)
今回は百物語の館の演目にもなった「おみつの怨霊」を取り上げてこの話の舞台となった京都粟田口近辺の土地の記憶と怪談の関係性について報告した。原話は田中緑紅の『京の怪談』に載るもので、明治15年の東小物座町を舞台とする実話怪談である。明治期の日出新聞や京都新聞にも取り上げられた京都怪談の典型とみて良い。一方粟田口周辺には明智光秀の首塚や粟田口処刑場も点在し、明治以前からの伝承を数多く残す。これらの土地にまつわる記憶が怪談の発生とどう関わったかについて仮説を立てみた。



報告者:堤邦彦 
会場:京都精華大学C-305 18:30より
第28回怪文研2017年5月17日(水曜日)
串刺しの母から盗む婆へ
『宿直草』巻2-8「誓願寺にて鬼に責めらるる女の事」を題材に、地獄に落ちる悪人のありさまを描いた幻影譚の流れを追った。『宿直草』をふくめて同型説話の源流には、地獄で串刺しの責め苦を受ける母の姿を目撃した目連の話が思い浮かぶ。そのような仏教説話と比べると、近世怪談の堕獄談は「生きながらの地獄」を描く点が新しい。また、盗む女の罪といった要素から発展して、女・悪・怪異のモチーフについて意見交換を行なった。



報告者:堤邦彦 
会場:京都精華大学C-208 18:30より
第27回怪文研2017年3月29日(水曜日)
人面瘡の怪異と題して、谷崎潤一郎「人面疽」(『新小説』1918・7)を中心に「人面瘡」の表象を考察した。
まず、浅井了意『伽婢子』をはじめとする人面瘡を描いた物語(伝承・小説・映画・マンガなど)の内容と視覚像のインパクトを総覧した。次に、谷崎の「人面疽」を読みながら、谷崎が1920年前後に映画制作に関係したという事実と、「人面疽」の映画化が企画されたことを当時の資料から確認した。
人面瘡には、良心の呵責(落語「人面瘡」)や奇病(白井智之『さよなら人面瘡』)など、様々な原因がある。なかでも、何代かにわたる祟りといった因果(馬琴)から心的外傷による解離性同一性障害(OVA『ブラックジャック』)へという変遷に、「他者との開かれた関係性」から「個人の閉じた内面」へという怪異の説明様式の変化を見て取ることができ、谷崎独自の「自身の内に制御不能な存在が発生する恐怖」という主題や映像化への志向性と「人面瘡」との関連が明確になった。

報告者:西野厚志
会場:京都精華大学C-201 18:30より
第26回怪文研2017年2月14日(火曜日)
岡本綺堂『半七捕物帳』に収まる「津の国屋」の前半部分を検討した。
本話の中には、いくつかのモチーフが認められるけれども、今回は「消える乗客」を取り上げた。
「津の国屋」においては、不可思議な女性が駕籠に乗って津の国屋を訪れ、忽然と姿を消してしまう、という場面がある。駕籠賃を請求する駕籠かきに対して、店の者は不審の念を抱く。しかし、津の国屋の主は賃金を支払う。この背景には、主人の後ろ暗い過去があった……
このような乗客が消失するというモチーフは、都市伝説では「消える乗客」と呼称される。著名な話の1つであって、世界各地に伝わる話である。
今回は、近世初期の怪談集『諸国百物語』巻之四の十七「熊本主理が下女、きくが亡魂の事」にある類似の話と比較しつつ、江戸怪談から現代まで続く「消える乗客」について討議した。また、この話を作中に取り入れた綺堂の描写を丁寧に検証していった。

報告者:門脇大
会場:京都精華大学C-208 18:30より

第25回怪文研2017年1月24日(火曜日)
岡本綺堂「新牡丹灯記」を中心に、古典怪談と近代怪談との関係を探った。
「新牡丹灯記」の中には、ある娘が侍に追われ、逃げ帰るという夢を見る。夢から覚めると、その侍が家を尋ねてくるという話がある。この話と同じモチーフは、『曾呂理物語』巻一の二、『諸国百物語』巻之二の三、『太平百物語』巻之四の三十六といった近世初期怪談に認められる。両者を比較・検討するとともに、これらの話の背景にある「ろくろ首」、および綺堂怪談の魅力を討議した。

報告者:門脇大
会場:京都精華大学C-208 18:30より
第24回怪文研2016年12月21日(水曜日)