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京都はやっと一番寒い時期が過ぎてくれました。
私の住んでいる地域では、昼間になるとマフラーや手袋も要らないくらいです。
研究会は夜なので冷えますけれども。おはようございます。泡沫はなびです。
前回は谷崎潤一郎、その前は岡本綺堂と、明治期の文豪のお話が続きました。
明治の小説家たちは、どの方も江戸の怪談集をとても勉強していて、自身の作品づくりにおいて参考にしていることがよく分かる研究会でした。
類似作品との比較検討は研究において基本的な手法です。
半七捕物帳に使われている「乗り物に幽霊を乗せる」というモチーフは、タクシー幽霊や、百物語の館の公演でもお馴染みであるお菊幽霊の話の籠、首なし幽霊に出てくる馬など、すぐに思いつくので「ありがち」と思いきや、探してみると類似作品の数があまり見つけられなかったようです。
それに比べて、人面疽を取り扱った類似作品は、30作品ちかくも発見することができたと紹介がありました。人面瘡は、名前こそ聞いたことがあったけれど、実際に使われている作品は?と聞かれたらすぐには思いつかないと思います。とっても驚きですね!
漫画大好きな泡沫がとくに気になったのはこちら↓
手塚治虫の『ブラックジャック』…妖怪というより心の内側から出てきた症状として登場。
黄島点心の『甘露に片思い』…なんと人面瘡と恋愛をするラブコメらしい。
星新一『かわいいポーリー』…星新一は短編なので長編小説が苦手な泡沫でも読めそう!
千原ジュニア『人面瘡』…落語だそうな。朗読団体としてはおさえておきたい。
もし、この記事を読んでくださっている方で「乗り物に幽霊を乗せる」っていう話や「人面瘡」をモチーフにした作品を知っていましたら、コメント欄などで教えてくださいね(∩´∀`)∩
あと意見交換時に話にあがったことで気になったのことなのですが「綺堂は演劇を意識した文章」になっていて、「谷崎は映画を意識した文章」になっているという点が非常に興味深かったです。
綺堂は人物の台詞が非常に多くて、地の文はまるで演劇の脚本におけるト書きのような印象なんですよね。実際、戯曲家としても活動していましたし、寄席や芝居についての随筆もたくさん書いています。
谷崎は今回の人面疽ではまさに映画が作中に登場し、劇中劇のような構成になっています。「大映し」や「焼き込み」といった映画用語が多様されたり、「昔の映画は、使われなかったクズフィルムをよせ集めて、お遊び映画を作られることがよくあった」という映画関係者にしか分からないような絶妙なネタをバックグランドにしてシーンが進んだりします。
頭の中で映し出されている情景が違うことで、書かれる文章に違いがでているんですね。
「他の人面瘡作品は男性が被害にあうことが多いのに、どうして谷崎では女性が被害に合う対象に変えたんだろう?」という話題が出たときも、「映像化を考えたときに、中年のオジサンよりも若くて美しい女性のほうが絵になるからでは?」と、映画製作者ならではの発想の転換があったのではないかという考察ができました。
同じ日本語を使っているはずなのに、文芸には無限の表現方法があることを感じさせてくれます。素敵。
メディアの種類が多様化している現代ならば、もっともっといろんな視点があるはず。
これは今後の台本班の活躍に期待しないわけにはいかない展開です!
これからの公演が楽しみになってきましたね。
さて、次回の研究会は、まさにこれからの公演に直接かかわりのあるお題を取り扱います。
今年は四条の新京極商店街にある誓願寺で公演を計画中です。
なので、誓願寺にまつわる怪談を研究しようという運びになりました。
タイトルは「「串刺しの母」から「盗む婆」へ 〜誓願寺幻影譚の原風景~」です。
久しぶりの我らが元締・堤先生の発表です。
どうぞ奮ってご参加ください。お待ちしております!
私の住んでいる地域では、昼間になるとマフラーや手袋も要らないくらいです。
研究会は夜なので冷えますけれども。おはようございます。泡沫はなびです。
前回は谷崎潤一郎、その前は岡本綺堂と、明治期の文豪のお話が続きました。
明治の小説家たちは、どの方も江戸の怪談集をとても勉強していて、自身の作品づくりにおいて参考にしていることがよく分かる研究会でした。
類似作品との比較検討は研究において基本的な手法です。
半七捕物帳に使われている「乗り物に幽霊を乗せる」というモチーフは、タクシー幽霊や、百物語の館の公演でもお馴染みであるお菊幽霊の話の籠、首なし幽霊に出てくる馬など、すぐに思いつくので「ありがち」と思いきや、探してみると類似作品の数があまり見つけられなかったようです。
それに比べて、人面疽を取り扱った類似作品は、30作品ちかくも発見することができたと紹介がありました。人面瘡は、名前こそ聞いたことがあったけれど、実際に使われている作品は?と聞かれたらすぐには思いつかないと思います。とっても驚きですね!
漫画大好きな泡沫がとくに気になったのはこちら↓
手塚治虫の『ブラックジャック』…妖怪というより心の内側から出てきた症状として登場。
黄島点心の『甘露に片思い』…なんと人面瘡と恋愛をするラブコメらしい。
星新一『かわいいポーリー』…星新一は短編なので長編小説が苦手な泡沫でも読めそう!
千原ジュニア『人面瘡』…落語だそうな。朗読団体としてはおさえておきたい。
もし、この記事を読んでくださっている方で「乗り物に幽霊を乗せる」っていう話や「人面瘡」をモチーフにした作品を知っていましたら、コメント欄などで教えてくださいね(∩´∀`)∩
あと意見交換時に話にあがったことで気になったのことなのですが「綺堂は演劇を意識した文章」になっていて、「谷崎は映画を意識した文章」になっているという点が非常に興味深かったです。
綺堂は人物の台詞が非常に多くて、地の文はまるで演劇の脚本におけるト書きのような印象なんですよね。実際、戯曲家としても活動していましたし、寄席や芝居についての随筆もたくさん書いています。
谷崎は今回の人面疽ではまさに映画が作中に登場し、劇中劇のような構成になっています。「大映し」や「焼き込み」といった映画用語が多様されたり、「昔の映画は、使われなかったクズフィルムをよせ集めて、お遊び映画を作られることがよくあった」という映画関係者にしか分からないような絶妙なネタをバックグランドにしてシーンが進んだりします。
頭の中で映し出されている情景が違うことで、書かれる文章に違いがでているんですね。
「他の人面瘡作品は男性が被害にあうことが多いのに、どうして谷崎では女性が被害に合う対象に変えたんだろう?」という話題が出たときも、「映像化を考えたときに、中年のオジサンよりも若くて美しい女性のほうが絵になるからでは?」と、映画製作者ならではの発想の転換があったのではないかという考察ができました。
同じ日本語を使っているはずなのに、文芸には無限の表現方法があることを感じさせてくれます。素敵。
メディアの種類が多様化している現代ならば、もっともっといろんな視点があるはず。
これは今後の台本班の活躍に期待しないわけにはいかない展開です!
これからの公演が楽しみになってきましたね。
さて、次回の研究会は、まさにこれからの公演に直接かかわりのあるお題を取り扱います。
今年は四条の新京極商店街にある誓願寺で公演を計画中です。
なので、誓願寺にまつわる怪談を研究しようという運びになりました。
タイトルは「「串刺しの母」から「盗む婆」へ 〜誓願寺幻影譚の原風景~」です。
久しぶりの我らが元締・堤先生の発表です。
どうぞ奮ってご参加ください。お待ちしております!