忍者ブログ

[1]  [2]  [3]  [4

次回の研究会

2020年9月12日(土)17時~
会場:zoom

テーマ:「江戸の怪談サロン」
発表者:門脇大


受講は無料です。
受講を希望の方は前日までに100mono@infoseek.jp(百物語の館 事務局)までご連絡下さい。

※次回より怪文研のお知らせはリニューアルしたホームページで行うことになりました。詳細は最新記事をご覧ください。

カテゴリー

最新記事

バーコード

ブログ内検索

リンク

AD

PR
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

[PR]
京都はやっと一番寒い時期が過ぎてくれました。
私の住んでいる地域では、昼間になるとマフラーや手袋も要らないくらいです。
研究会は夜なので冷えますけれども。おはようございます。泡沫はなびです。

前回は谷崎潤一郎、その前は岡本綺堂と、明治期の文豪のお話が続きました。
明治の小説家たちは、どの方も江戸の怪談集をとても勉強していて、自身の作品づくりにおいて参考にしていることがよく分かる研究会でした。

類似作品との比較検討は研究において基本的な手法です。
半七捕物帳に使われている「乗り物に幽霊を乗せる」というモチーフは、タクシー幽霊や、百物語の館の公演でもお馴染みであるお菊幽霊の話の籠、首なし幽霊に出てくる馬など、すぐに思いつくので「ありがち」と思いきや、探してみると類似作品の数があまり見つけられなかったようです。
それに比べて、人面疽を取り扱った類似作品は、30作品ちかくも発見することができたと紹介がありました。人面瘡は、名前こそ聞いたことがあったけれど、実際に使われている作品は?と聞かれたらすぐには思いつかないと思います。とっても驚きですね!

漫画大好きな泡沫がとくに気になったのはこちら↓
手塚治虫の『ブラックジャック』…妖怪というより心の内側から出てきた症状として登場。
黄島点心の『甘露に片思い』…なんと人面瘡と恋愛をするラブコメらしい。
星新一『かわいいポーリー』…星新一は短編なので長編小説が苦手な泡沫でも読めそう!
千原ジュニア『人面瘡』…落語だそうな。朗読団体としてはおさえておきたい。

もし、この記事を読んでくださっている方で「乗り物に幽霊を乗せる」っていう話や「人面瘡」をモチーフにした作品を知っていましたら、コメント欄などで教えてくださいね(∩´∀`)∩



あと意見交換時に話にあがったことで気になったのことなのですが「綺堂は演劇を意識した文章」になっていて、「谷崎は映画を意識した文章」になっているという点が非常に興味深かったです。
綺堂は人物の台詞が非常に多くて、地の文はまるで演劇の脚本におけるト書きのような印象なんですよね。実際、戯曲家としても活動していましたし、寄席や芝居についての随筆もたくさん書いています。
谷崎は今回の人面疽ではまさに映画が作中に登場し、劇中劇のような構成になっています。「大映し」や「焼き込み」といった映画用語が多様されたり、「昔の映画は、使われなかったクズフィルムをよせ集めて、お遊び映画を作られることがよくあった」という映画関係者にしか分からないような絶妙なネタをバックグランドにしてシーンが進んだりします。

頭の中で映し出されている情景が違うことで、書かれる文章に違いがでているんですね。

「他の人面瘡作品は男性が被害にあうことが多いのに、どうして谷崎では女性が被害に合う対象に変えたんだろう?」という話題が出たときも、「映像化を考えたときに、中年のオジサンよりも若くて美しい女性のほうが絵になるからでは?」と、映画製作者ならではの発想の転換があったのではないかという考察ができました。

同じ日本語を使っているはずなのに、文芸には無限の表現方法があることを感じさせてくれます。素敵。
メディアの種類が多様化している現代ならば、もっともっといろんな視点があるはず。
これは今後の台本班の活躍に期待しないわけにはいかない展開です!
これからの公演が楽しみになってきましたね。



さて、次回の研究会は、まさにこれからの公演に直接かかわりのあるお題を取り扱います。
今年は四条の新京極商店街にある誓願寺で公演を計画中です。
なので、誓願寺にまつわる怪談を研究しようという運びになりました。

タイトルは「「串刺しの母」から「盗む婆」へ 〜誓願寺幻影譚の原風景~」です。
久しぶりの我らが元締・堤先生の発表です。

どうぞ奮ってご参加ください。お待ちしております!
泡沫ログno.1
人面瘡の怪異と題して、谷崎潤一郎「人面疽」(『新小説』1918・7)を中心に「人面瘡」の表象を考察した。
まず、浅井了意『伽婢子』をはじめとする人面瘡を描いた物語(伝承・小説・映画・マンガなど)の内容と視覚像のインパクトを総覧した。次に、谷崎の「人面疽」を読みながら、谷崎が1920年前後に映画制作に関係したという事実と、「人面疽」の映画化が企画されたことを当時の資料から確認した。
人面瘡には、良心の呵責(落語「人面瘡」)や奇病(白井智之『さよなら人面瘡』)など、様々な原因がある。なかでも、何代かにわたる祟りといった因果(馬琴)から心的外傷による解離性同一性障害(OVA『ブラックジャック』)へという変遷に、「他者との開かれた関係性」から「個人の閉じた内面」へという怪異の説明様式の変化を見て取ることができ、谷崎独自の「自身の内に制御不能な存在が発生する恐怖」という主題や映像化への志向性と「人面瘡」との関連が明確になった。

報告者:西野厚志
会場:京都精華大学C-201 18:30より
第26回怪文研2017年2月14日(火曜日)
岡本綺堂『半七捕物帳』に収まる「津の国屋」の前半部分を検討した。
本話の中には、いくつかのモチーフが認められるけれども、今回は「消える乗客」を取り上げた。
「津の国屋」においては、不可思議な女性が駕籠に乗って津の国屋を訪れ、忽然と姿を消してしまう、という場面がある。駕籠賃を請求する駕籠かきに対して、店の者は不審の念を抱く。しかし、津の国屋の主は賃金を支払う。この背景には、主人の後ろ暗い過去があった……
このような乗客が消失するというモチーフは、都市伝説では「消える乗客」と呼称される。著名な話の1つであって、世界各地に伝わる話である。
今回は、近世初期の怪談集『諸国百物語』巻之四の十七「熊本主理が下女、きくが亡魂の事」にある類似の話と比較しつつ、江戸怪談から現代まで続く「消える乗客」について討議した。また、この話を作中に取り入れた綺堂の描写を丁寧に検証していった。

報告者:門脇大
会場:京都精華大学C-208 18:30より

第25回怪文研2017年1月24日(火曜日)
あけましておめでとうございます。
はじめまして('∀')
怪談初心者の泡沫はなびです。
うたかたと書いてあわまつと読んで下さい。

今年から研究会に参加した内容をもとに、私なりのちょっとした感想や研究会の様子を自由に綴っていこうと思います。
余裕があれば他に参加されている方々のコメントや写真も配信できればと思っています(;'∀')

怪談文芸研究会は、怪談朗読公演を行っている百物語の館の研究部門なのですが、外部の方でも誰でも参加できます
県境を越えて遠方から来て下さる方もいますし、参加者の年齢もとても幅広いです。


江戸の文学は、自分とは関係のない…どこか遠い存在のように感じられます。
はじめは言葉もあまり読めないし、現代のように成熟した起承転結もまだないので「古臭い」って思うかも。
しかも怪談。
ますます縁のないものに感じられます。

でも、実は現代の、すごく身近な小説やアニメに流用されていたりします。

証明になるかどうか分かりませんが、大きい本屋さんに行って、マンガコーナーやラノベコーナーを覗いて見てください。
「妖怪」「天狗」「あやかし」「鬼」「怪異」「幽霊」といったモチーフを使っている作品が数えきれないほど並んでいるのが分かると思います。

野球漫画を読んでる人を見て「なんて変わった人なんだ!マイナーな趣味してるなあ」と思う人はいないと思います。
でもそれが「怪談」だったら、どうでしょう?「変わってるなぁ」って、ついつい思っちゃいません?

試しにAmazonの本>コミック・ラノベのカテゴリーで野球作品を2016年販売の新単品のみで検索すると、2016年の発売タイトルは107件ヒットします。

それに比べ、怪談作品は400件。
タイトルにも作品紹介にも怪談というキーワードを入れない作品は多くありますので、可能性のある他のキーワードでも調べてみますと、
妖怪は175件。
怪異は107件。
もののけは225件ヒットします。

中には重複して検索に引っかかっている本もあると思いますが、それにしても野球作品の107件に比べて圧倒的な数の作品が生み出されていることが分かります。

怪談って、実はもうマイナーなジャンルではないのです。


古典怪談を読むことは、民俗学に通じる楽しさもあります。
私たちが日常で当たり前のように知っている昔話や祭など、習慣の起源が、たくさん江戸の怪談文芸に隠されています。
これを発見できるのが、楽しい!


そんな日本の怪談文芸の元祖を、コアな文学ファンから私のようなド素人まで、文学が好きなら誰でも学べるのが怪談文芸研究会です。
研究会の雰囲気を、少しでも感じていただけましたら幸いです。

どうぞよろしくおねがいします(^▽^)
泡沫ログno.0
岡本綺堂「新牡丹灯記」を中心に、古典怪談と近代怪談との関係を探った。
「新牡丹灯記」の中には、ある娘が侍に追われ、逃げ帰るという夢を見る。夢から覚めると、その侍が家を尋ねてくるという話がある。この話と同じモチーフは、『曾呂理物語』巻一の二、『諸国百物語』巻之二の三、『太平百物語』巻之四の三十六といった近世初期怪談に認められる。両者を比較・検討するとともに、これらの話の背景にある「ろくろ首」、および綺堂怪談の魅力を討議した。

報告者:門脇大
会場:京都精華大学C-208 18:30より
第24回怪文研2016年12月21日(水曜日)

破約―─後妻打ち
小泉八雲「破約」を検討した。当該話は、ある武士が死の直前の妻と交わした「後妻をもらわない」という約束を破ったために、亡妻が後妻をとり殺す、という話である。典型的な「後妻打ち」の話といえる。このような話柄は江戸怪談をはじめ、現代怪談でもよく目にするものである。今回は、『諸国百物語』(1677年刊)巻29「豊後の国何がしの女房、死骸を漆にて塗りたる事」と読み比べることにより、八雲怪談と近世怪談の怖さの質の異同を議論した。また、「音の怪談」としての怖さ、「再話文学」としてのおもしろさ、「恥」の概念によって喚起される恐怖、等々の多岐にわたる観点から怪異文芸を検討した。

報告者:門脇大
会場:京都精華大学C-208 18:30より

第23回怪文研2016年11月23日(水曜日)
猫の怪談―─猫の報恩譚
馬場文耕『近世江都著聞集』(1757成)巻5「三浦遊女薄雲が伝」を中心に、猫の報恩譚を検討した。当該話は、遊女薄雲になついた猫が命を賭して薄雲を蛇から救う話である。本話に認められるいくつかのモチーフについて、広く怪談・説話という観点から検証した。また、化け猫に関する怪談を「火車」・「お家騒動」・「民話」・「演劇」などの観点から議論した。

報告者:門脇大
会場:京都精華大学C-208 18:30より
第22回怪文研2016年10月26日(水曜日)

続・耳嚢の怪異感を読み解く
京極夏彦『旧談』「百年の間」は、『耳嚢』巻之五「菊むしの事」、「於菊虫再談の事」の翻案である。
『旧談』を分析しつつ、『耳嚢』との比較を行うことで、江戸怪談の再生方法について議論した。また、皿屋敷怪談の外伝である「お菊虫」説話に関する資料を読み比べてみることによって、怪談・巷説の「怖さ」の検討と、怪談朗読の方法論に関する討議を行った。

報告者:門脇大
会場:京都精華大学C-201 18:30より

第21回怪文研2016年9月27日(火曜日)
叢原火について―鬼火の周辺怪異を探る―
京都洛西の壬生寺周辺の怪談として伝わる叢原火を中心として、怪しき火の玉を検討した。
油を盗んで死んだ者が火の玉となるというモチーフは、近世初期の『古今百物語評判』に見出せる。
後に、火の玉に「叢原火」という名称が与えられ、鳥山石燕『画図百鬼夜行』にも掲載されている。
これらの怪談を中心に討議した。
壬生という地域性と、京都に流れる河の周辺に点在する怪談とに着目した議論がなされた。

報告者:門脇大
会場:京都精華大学C-209 18:30より
第20回怪文研2016年7月13日(水曜日)
耳嚢の怪異感を読み解く
『耳嚢』巻之五「怪竈の事」は、落語「へっつい幽霊」と関係の深い話である。
また、京極夏彦『旧談』「何がしたい」に翻案されている。
「へっつい幽霊」の類話を参照しつつ、『耳嚢』と『旧談』とを読み比べて、「怪談の怖さ」について討議した。
さらに、「文芸としての怪談」/「朗読としての怪談」といった観点から、「怪談のありかた」について討議した。

報告者:堤邦彦・門脇大
会場:京都精華大学C-209 18:30より
第19回怪文研2016年6月22日(水曜日)
京極夏彦『旧談』と『耳嚢』のあいだ

根岸鎮衛の『耳嚢』には江戸の巷に散在した怪異の噂が聞くままに記されている。今回は「鬼僕の事」を取り上げて、火車伝説の変遷をたどりながら、合わせて『旧談』の脚色方法について分析した。

報告者:堤邦彦
会場:京都精華大学C-205 19:00より
第18回怪文研2016年5月17(火曜日)
怪談話と幻燈器
今回の研究会では、2016年3月25日刊の『芸術新潮』による「妖怪春画と落語会-歌川派春画と幻燈マジック-」の記事をもとにして、怪談咄と落語と春画表現をつなぐ江戸の文化位相についての発表をおこなった。なかでも、幻燈器による「写し絵」に着目し、噺家・林屋正蔵(1781-1842)による怪談咄の寄席場で「写し絵」が用いられる歴史性をとらえることで、化物語りと妖怪変化の映像が結びつく江戸の大衆文化を浮き上がらせた。
報告者:鈴木堅弘
会場:京都精華大学R-226 18:30より

第17回怪文研2016年3月30(水曜日)
狐狸の怪談②
今回は狸の怪談にスポットを当てた。近世初期怪談集の中から、『宿直草』では狸、平仮名本『因果物語』では狐とする、「産女(ウブメ)に化ける狐狸」のモチーフを検討した。当時においては、化物と狐狸とは区別されて考えてられており、その意義を特に仏教的な対処の方法に着目して討議した。他にも、『古今百物語評判』の狸や、近世後期の『絵本百物語』などの狸にまつわる怪談を取り上げて、様々な角度から狸の怪談を見つめた。
動物に関する怪談は、まだまだ検討の余地があり、現代怪談として再生させることも視野に入れておきたい。
報告者:門脇大
会場:京都精華大学R-226 18:30より

第16回怪文研2016年2月10日(水曜日)
狐狸の怪談
近世初期怪談集に描かれている狐の怪談を検討した。
『宿直草』や『奇異雑談集』の妖狐譚から、狐と仏教説話との関連や、「奇異(なること)」とは何かという問題を考えた。また、『古今百物語評判』を読むことで、土俗的な狐譚と中国説話との混淆という大きな問題を討議した。
狐にまつわる怪談は、地域性や在地伝承を踏まえることにより、現代怪談として再生させることが十分にできる、という可能性を見出した。
報告者:門脇大
会場:京都精華大学R-226 18:30より
第15回怪文研2016年1月13日(水曜日)
動物の怪談について。
動物が主役となる怪談の中から、2つのテーマを取り上げた。
1つは牛。仏教と関わりの深い怪談集や勧化本などに認められる人面獣身のモチーフから、幕末・明治に登場する予言獣の件(くだん)に至る道程を探った。
もう1つは猫。近世初期怪談集に登場する化け猫の話を読み解き、話は火車説話に及んだ。動物の怪談、まだ多くのテーマが残されている。
報告者:門脇大、北城伸子
会場:京都精華大学R-226 18:30より
  
第14回怪文研2015年12月2日(水曜日)